20160805

Things Aren't Always What They Seem


日本から戻り1ヶ月ほど経ちました。今や私にとって第二の故郷となってしまったサンフランシスコ、こちらは8月だというのに例年のごとくとてもとても寒い夏です。

”今日も風が強いですわね〜”
そんな挨拶を交わす近所のおばあちゃん達を横目に、この冬の日本海のように荒れすさむサンフランシスコ湾を今日も寒さで縮こまりながら散歩する私です。

東京、本当楽しかったなぁ〜(ハァ、ため息)

いつものことですが、この帰国で私はやっぱり東京が 切に好きなんだということを心の奥底から感じました。そしてその気持ちは増してゆくばかり。住環境、労働環境はさておいても、やはりなんだかんだでそこに居る「人」が本当に大好きです。だってある次元から見れば(ここポイントです)あの街はどんな者であろうと受け入れる、そういったオープンマインドネスな姿勢を備えているのですからね。

数年前に帰国した際、頭の上でトーストを焼きながら歌って踊るアバンギャルドなセクシーお姉さんに会った。去年は車に特大オブジェを飾り、街中を滑走するめちゃめちゃカッコイイ華道家/芸術家のお兄様に出会った。そして今年は新宿3丁目辺りで背徳な美学を享受されている素敵な方々にお会いすることができ、私の知的好奇心は大いにくすぐられた。

兎にも角にも突拍子もなく、良い意味でクレイジーな人達に出逢える格好の場:それが東京なのです。

でも、え?あんたの住んでるサンフランシスコのほうが断然そうでしょうよ!?と突っ込まれそうですが。うん、全米でも変人奇抜な人が集まっている 都市であることはほぼ間違いないのですが、interesting!という意味で私を驚かせてくれる人々は断然東京のほうが優っていることを身を以て実感しています。だって非凡具合が違うんですもん。

サンフランシスコの人はいくら非凡であったとしても、必ずその人はどこかのグループには属せてしまう気がする。それはどういったことかというと(あくまでも私の個人的見解ですが)、この場所は非常に分かりやすく5種類くらいの人間の定型句があって、そのグループによって見た目の姿形、ファッションから思考パターンまで大凡同じなんじゃないかなと言い切れます。そして大変失礼なことを言ってしまうと、一見オープンな感じを装っておきながら実はとても自閉的であり、それが本気でつまらないことだわな〜とも思ってしまうのです。

要するに自分とよく似た価値観を持った人同士でグループを成すことでなんらかの安全結界のようなものを張ってるようで、それで自分の存在価値みたいなものを担保している部分があるようなのだけど、、、この安心且つ自然な成りゆきであるはずである”それ”が、私にとっては恐怖でしかなく、正直ここに住んでいると息が詰まりそうです。まぁもちろん自分自身がそもそも変わり者であることを前提に置いての話ですけどね。すみません。

でも本当に東京にいると毎日全く新しい価値観との遭遇がありまして。

どこかで知らない誰かに話しかけると、"Whaaat!!!???"となるような瞬間があり、それがとてつもなく楽しい。ある種の価値観摩擦のようなものの多発地帯であって、そこから本当に面白いものが日々生まれているのだな〜なんてワクワクしてしまいます。

「東京の人は冷たい」なんてことよく聞きますがが、本当にそうなのでしょうか?
私からすればあれほど”人に優しい”街がそれ以外世界のどこにあろう?と思ってしまう。

一見閉鎖的であるかのように見えて、実はとても寛容的。自分の真ん中に芯を据えながら軽やかに、そして流動的に生きていける場所なのかなぁと思います。



Andrew Wyeth/1984
Christina's World